「今日は天気もいいことだし、心の教育は中庭でやろうぜ、瑠奈!」

執務室を訪ねた私に、ハーヴェイが開口一番、そう言い放った。
確かに、今日は天気がとてもいい。
青く晴れ渡った空から注いでいる暖かな陽気の中で教育を受けたら、きっと気持ちいいだろうなあっていうのは、私も分かる。

「でも……その、いいんですか?」

私は目の前に立つハーヴェイの背後、つまり彼の机へ視線を移動させる。
そこには山積みになっている書類が、沢山置かれていた。
あれはきっと、ロアクリストとしてハーヴェイに任されている仕事だと思う。

「……お仕事、随分たまっているように見えるんですけど」
「気のせいだ」
「でも……ジェラルドさん、書類に埋もれてるみたいなんですけど」
「気のせいだ!」

書類の山に埋もれているジェラルドさんも、いつもだったら『執務室で仕事をしながら心の教育をしろ!』と言ってそうなのに、今日は何も言わない。
いや、どっちかっていうと、疲れきって、何も言えない状況なのかもしれなかった。
だって、さっきから机に顔を埋めたまま、身動き一つしない。

(……だ、大丈夫なのかな)

私はジェラルドさんの様子を気にしつつ、ハーヴェイに声をかける。

「あの、ハーヴェイ。お仕事が忙しいなら、心の教育は他の人に頼みますけど……」
「だから、仕事が忙しいなんて、気のせいだって言ってるだろ? ほら、おっさんを見ろ! あれは、ああやって休憩しているだけなんだ。だというのに、俺達が側で心の教育なんて行ったら邪魔になる。だから、外へ出よう」
「えっと、いつもジェラルドさんの側でやっていたような……」
「そうだ、瑠奈! 中庭にある噴水の側で、ルーチェの世界の歴史を教えてやろう! なかなか興味深い昔話があって、楽しいぞ〜!」

ハーヴェイは明るい笑顔を浮かべ、私の手を掴むと、そのまま執務室から外に向かって、歩き出した。

「あの、ちょっと……ハーヴェイ?」
「俺に任せておけば何も心配ないからな!」
「ハーヴェイ〜〜?!」

私はハーヴェイに手を引っ張られ、そのまま連行されていった。





「おや? 瑠奈にハーヴェイじゃないですか」

中庭の噴水のふちに腰かけて、読書をしていたダレンさんがそう柔らかな笑みを浮かべて、声をかけてきてくれた。

「もしかして、心の教育ですか」
「そうだよ。邪魔だからどっか別の場所で本読んでろ、ダレン」
「随分な言い草ですね。別に俺がいても問題ないでしょう?」
「お前が身動き一つせず、ひたすら本の文字を目で追ってるなら、いても構わねぇけどな」
「冗談でしょう? そんなことをしていたら、瑠奈の可愛い顔が見られないじゃないですか。側にいるのに触れられないなんて、それは拷問です。ねぇ、瑠奈?」

ダレンさんが私へと手を差し伸べてこようとする。
だけどそれを、べしっ! とハーヴェイが思いっきり叩き落とした。

「そういうのが邪魔だっつってんだよ!」
「ケチくさいですね。まあ冗談はさておき、どうせ心の教育をするなら、俺とハーヴェイで同時に行いませんか? 彼女の魂を穢しているノワールを俺達の力で浄化出来る──願ってもないことでしょう?」

にっこりと微笑むダレンさんを前に、ハーヴェイが難しい顔をした。

(魂を穢す、ノワール……かぁ)

心の教育は、ロアクリストと会話しているだけでもいいらしい。
私が、この世界の救世主である存在『アリシス』になるためには、私の魂にしみこんでいるノワールを浄化しなければ、なれない。
そしてその方法は、神様から特別な力を与えられているロアクリストと魂を触れ合わせる、つまり心を通わせればいいって、前に教えてもらった。

ハーヴェイは眉間に皺をよせて、少しの間、悩んでいたけれど、ふっと表情から力を抜く。
そして、眉をさげて笑った。

「まぁ、確かにダレンの言う通りだな。ったく、仕方ねぇか。瑠奈、ダレンと一緒で構わないか?」
「あ、はい。二人がいいなら、私はぜんぜん大丈夫です」

その返事に満足そうに微笑むダレンさんは自分の隣のスペースを、ぽんぽんと手で叩く。

「さ、瑠奈。俺の隣へどうぞ?」
「俺の隣でもあるだろ。ったく、現金な奴だな」

ハーヴェイは文句を言いながら、噴水のふちへ腰かける。
ちょうど、ダレンさんとの間に一人分のスペースを空けて。

(これってつまり、ハーヴェイとダレンさんの間に座れってことだよね)

「瑠奈。ダレンのアホの戯言は気にしなくていい。楽にしていいぞ」
「誰がアホですか。失礼な」
「あ、えっと、それじゃ、座りますね」

私は、ハーヴェイの言葉に誘われて、その空いたスペースに腰を下ろした。
左隣にハーヴェイ、右隣にダレンさんがいる。
なんだか、緊張しちゃうな。

「それじゃさっそく心の教育といくか。俺とダレンが本を読んで聞かせるから、ちゃんと聞いてろよ」
「あ、はい!」

ハーヴェイは来る途中で図書室によって持ってきた本を自分の脇へどさどさと置く。
そして一冊の本を手にして、ダレンさんへ渡した。

「ほら、お前の分」
「了解しました。ではまずは私から読んでさしあげますね。あ、瑠奈。もし聞こえづらかったりしたら、俺のほうへ身体を寄せてもいいですから。大丈夫。あなたの重みなどまるで鳥の羽のような軽さです。まったく気になりません。だから安心して、寄りかかってきてくださいね」

そう話しながら、ダレンさんがそっと私の肩に手を置いてくる。
そして自分の胸元へと引き寄せようと動かす。
私が慌てて離れようとする前に、その手をハーヴェイが払いのけてくれた。

「こら。不用意に瑠奈に触れるな。ホントお前は馴れ馴れしいな」
「……なんですか。羨ましいならあなたもやればいいじゃないですか」
「羨ましいわけじゃねぇよ! アホか! 真面目に教育をしろ!」
「はいはい、分かりましたよ」

ハーヴェイとダレンさんがちょっとした言い争いみたいな感じで会話をする。
それを聞いているだけで、私の口元には自然と笑みが浮かんだ。

(なんだかんだ言って、二人とも仲がいいんだよね)

それから、ダレンさんは、スキンシップを何度も入れながら(そしてハーヴェイに阻止されていた)本を読んでくれる。
ダレンさんが終わったら、次はハーヴェイ。
次々と聞かせてくれているルーチェの世界の歴史は知らないことばかりで、とても興味深いし、何だかわくわくする。
だけど、空から注ぐ暖かな陽気に、自然と私の瞼は徐々に重みを増していった。

(……うう、眠い……。だ、駄目駄目! ハーヴェイとダレンさんがわざわざ本を読んで教えてくれているのに、寝ちゃうなんてよくないよ。でも……この陽気と……二人の声が凄く気持ちよく聞こえてきて……まるで子守唄を歌われてるみたい……)

私はハーヴェイの声を聞きながら、ゆっくりと自分の意識が眠りの中へと沈んでいくのを、止められなかった。





「ゲミュートの樹は気まぐれに果物を生やすことがあって──ん?」

五冊目の本を読んでいる途中、とん、と、肩に小さな重みが加わった。
なんだ? と視線を向けると、俺の肩に頭を預け、瑠奈が気持ち良さそうに寝ていた。

「……瑠奈」

それに気づいたダレンが、瑠奈に声をかけて起こそうとする。
それを俺は目線で制し、ゆっくりと中指を口元へ持っていく。

「立て続けに頭の中に情報を詰め込んだから、疲れたんだろ。もう少しこのままでいい」

その言葉にダレンは苦笑する。

「役得ですね、ハーヴェイ」
「そうか?」
「それにしても……可愛い寝顔ですね。どんな夢を見ているんでしょう」

ダレンは、すやすやと寝ている瑠奈の顔を優しく見つめる。
そして、手を伸ばし、彼女の柔らかな髪の毛を指先で弄った。

「本当に可愛いですね。このまま食べてしまいたいくらいだ」
「……おい、ダレン」
「これくらいいいでしょう? あなたは彼女に寄りかかってもらっているじゃないですか。瑠奈とそうやって触れ合えるなんて、羨ましい限りですよ」

俺はため息を一つ零してから、細い目つきでダレンを見つめる。

「……ほどほどにしとけよ」
「あなたこそ」

ダレンの言葉に、俺は瑠奈の温もりを改めて肩越しに感じて、苦笑した。

(確かに俺も……瑠奈に甘いな)

ロアクリストとして、彼女をアリシスに育て上げなければならなかった。
だからこの甘さは、不必要なものなのかもしれない。

だが、今だけは。
彼女の目が覚めるまで続けてもいいだろうと、そう思った。


──END──



おまけ

それから数分後のことだった。

「それ、私のケーキ?!」

と、大声をあげて、飛び起きた瑠奈の頭が、彼女の様子をうかがおうと顔を覗き込もうとしていたダレンに勢いよくぶつかった。

〜〜〜〜〜っっっ?!!
「あれ? え? なに? ケーキ、どこ??」
ぶっ……! わはははは!

まだ寝ぼけている瑠奈と、涙目になりながらも必死で痛みに耐えるダレンの姿に、俺は腹筋が痛くなるほど、思いっきり笑ってしまうのだった。