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身体の調子がいつもと違うことに気付いたのは、正午を少し過ぎてからのこと。
「あれ? 司狼、今日はそれだけでいいの?」
共に昼食の席に着いていた双葉ちゃんが、怪訝そうな表情で尋ねてくる。
「ん? ま、ダイエットだよ、ダイエット。メタボってる俺なんて、双葉ちゃんも見たくねえだろ」
女に心配かけるのも不本意だから、冗談めかして答えるが、彼女の表情は硬いままだ。
「……もしかして、どこか具合悪いの? 顔色もあんまり良くないみたいだし――」
「んなことねえって」
「そんなことあるってば! ……ねえ、黎明もそう思うよね?」
双葉ちゃんは、助けを求めるように黎明へ視線を向けるけれど、言葉を字面通りにしか捉えられないこいつが、相槌など打つはずもなく――。
「本人が平気だと言っているんですから、平気なんでしょう」
至極淡々とした表情で、そう切り返す。
彼女はがっかりしたように俯いていたが、やがて俺へと視線を戻して言い募る。
「身体の調子が良くないなら、部屋で休んでた方がいいんじゃ――」
そう言い掛けた双葉ちゃんの言葉を遮るように、俺は、彼女の前髪を手でぐちゃぐちゃに乱しながら告げる。
「何だよ、そんなに俺のことが心配なのか? 大丈夫だって。こう見えても俺、身体だけは丈夫なんだから」
「ちょっ……! もう! 冗談でごまかさないで! 私、本気で心配してるんだから」
彼女は唇を僅かに尖らせながら抗議し、乱れた前髪を直す。
そんな彼女の所作を微笑ましく見下ろしながら、俺は答えた。
「……双葉ちゃんの俺への愛情は、ありがたく受け取っておくが――心配はいらねえよ。俺は、女に嘘は言わねえ主義なんだ」
そう言って椅子から立ち上がろうとした瞬間、足元がふらつきそうになる。
だが、それを悟られてしまわないよう、必死に平静を装いながらこう付け加える。
「とはいえ、双葉ちゃんの不安そうな顔を見んのは嫌いだからな。今日んところは、大人しく休んどくことにするぜ。……んじゃ、また後でな」
軽く片目を閉じてみせた後、俺はさっさとサロンを後にした。

「……やっぱり司狼の様子、ちょっとおかしかったよね?」
司狼が退室した後、私は黎明にそう尋ねるけど、彼は表情を変えない。
「どこがでしょう? 僕の目には、普段と何ら変わりがないように見受けられましたが」
「どこがって――顔がちょっと熱っぽかったし、足元がフラフラしてたみたいだし……黎明、本当に気付かなかったの?」
「もし助けが必要なら、そう言うはずです」
「だから、そうじゃなくて……! 黎明は、司狼のこと心配じゃないの?」
そう尋ねてみるけど、彼は表情を変えない。眉ひとつ動かさず、平静な口調で付け加える。
「……それに、彼の性格ですと、多少体調が悪くとも他人に同情されたくはないと考えるのではないでしょうか。そっとしておくのが一番でしょう」
「それは、確かにそうかも知れないけど……」
黎明の言葉は正論だけど……どうしても納得できなくて、私はうなだれてしまう。
確かに司狼は、他人に――特に女の子に弱い部分を見せるのを、よしとしないところがある。
だとしたら、私があれこれ気を回すのは『余計なお世話』ってことになるんだろうけど……。
「……ちょっと司狼の様子、見て来る」
「そっとしておいた方がいいのでは? 先程も言いましたが、彼は――」
「本当に部屋で休んでくれてるか、確かめるだけだよ。何もなかったら、すぐ戻ってくるから」
そう言い残し、サロンを出て司狼の部屋へと向かう。
だけど、階段を上がって少し歩いたところで、思わぬものを目にして声を呑む。
「――! 司狼!? どうしたの、司狼!」
司狼は廊下に倒れたまま、苦しそうに息をついている。
その時に握った手は、驚いてしまうくらい熱かった。
「お願い、誰か来て! 司狼が――!」
私は居ても立ってもいられなくなり、大声で助けを呼んだ。

「医師の弁では、風邪と疲労が重なって倒れたとのことです。薬は飲ませましたから、明日の朝には熱も下がるかと」
「……うん」
黎明から医師の往診の結果を聞かされ、私は生返事を返す。
私の視線の先には、ベッドに横たわって苦しそうに呼吸を繰り返す司狼の姿がある。
「双葉、部屋に戻った方がいいのでは? 風邪がうつってしまうかも知れませんよ」
黎明が気遣わしげに言ってくれるけど、私は静かに首を横に振る。
「……ううん、いいの」
ただの我侭だって、自分でも分かってるけど……それでも私は、司狼の傍から離れたくなかった。
「わかりました。それでは、僕はこれで」
いつもの淡々とした口調で言い残した後、黎明は静かに退室する。……彼なりに、気を遣ってくれてるんだと思う。
私は顔を俯けながら、司狼へと視線を戻す。
倒れてしまうくらい具合が悪かったのに――彼はどうして、何も言ってくれなかったんだろう。
周りに心配かけたくないから?
他人に弱味を見せたくないから?
司狼がそういう性格だってことは分かってるけど……。
彼はこれから先もずっと、心配すらさせてくれないってことなのかな。
どんなに彼が無理をしてるように見えても、不安で胸が押し潰されそうになっても……司狼を信じる以外、何もできないってことなの?
そんなネガティブな問い掛けばかりが、胸の中に満ちてくる。
それから、どれくらい経っただろう。
窓の外がすっかり暗くなった頃、閉じたままの瞼が僅かにわなないた。
そして……。
「ん、ん……?」
細く開いた瞳が、私の姿を捉えて大きく見開く。
「司狼――!」
彼が目を覚ましてくれたことに、私は胸を撫で下ろす。
「双葉ちゃん……どうして俺の部屋に?」
彼は心外と言わんばかりの口調で、そう尋ねてきた。
「どうしてって――司狼が熱を出して倒れてたから、黎明に頼んで部屋に連れて来てもらって……。体調の方は、もう大丈夫なの?」
「ん? まあ……頭はまだ、フラフラするけどな。しかし、みっともねえな。よりによって、ぶっ倒れてる所を見られちまうなんて」
彼は、悪戯っぽいごまかし笑いと共に言うけれど、私は笑い返すことなんてできなかった。
「……どうして具合が悪いってこと、素直に言ってくれなかったの?」
震える声で、そう尋ねてしまう。
その問いに、司狼は一瞬、答えに詰まった様子を見せる。
だけどすぐに、まるで子供をなだめるような口調で――。
「女に、弱いところなんて見せられるはずねえだろ。ましてや、双葉ちゃんに――」
そう言い掛けて、慌てて口をつぐむ。
それから、罰が悪そうなそぶりで視線をそむけた後、続けた。
「……俺がそういう奴だってことは、双葉ちゃんもよく知ってるはずじゃねえか」
そんな言葉を、口にする。
確かに、司狼がそういう人だってことは分かってる。
だけど……。
「……そういう風に、本音を隠されるから余計心配になることだってあるんだよ」
気が付けば、私はそう漏らしていた。
司狼の瞳に、怪訝そうな色が宿る。私がこう言い出すことなんて、予想してなかったみたいだった。
だけど、もう止まらない。
私は司狼のベッドに手を付いて、駄々っ子みたいにまくし立ててしまう。
「司狼は、人に頼ったり弱いところを見せたりする人じゃないって、分かってるけど――それでも、心配ぐらいさせてよ。平気なふりをして、辛さや痛みを一人で抱え込んだりしないで! そんなことされたら私、余計に――」
そう叫びそうになった瞬間だった。


司狼が不意に私の手首をつかみ、私の身体を近くへと引き寄せる。
揺れた前髪が頬に触れるほどの近さに、瞬きすら躊躇してしまう。
僅かに熱を帯びた唇が、私の口元でうごめいた。
そして……。
「……俺のせいで、双葉ちゃんを不安にさせちまったってことか?」
真剣な眼差しで、そう問われてしまう。
突然の行動には戸惑ったけど、間近に感じられる熱い視線や真剣な問いをはぐらかすなんて、とてもできそうにもなくて――。
「そうだよ。私……すごく不安だったんだから。もしかしたら今回だけじゃなくて……司狼はいつも、辛さとか苦しさとか……全部一人で抱え込んで、平気なふりをしてたんじゃないかって、思って……」
そう答える声が次第に小さくなっていき、やがては途切れてしまう。
司狼は一瞬目を伏せた後、不意に顔を上げた。
そして……。


「んっ――!」
不意に、私の唇が熱いもので塞がれた。
詰められた吐息が、重なり合った唇から感じ取れる。
司狼にキスされてるんだってことを自覚するまでに、ゆうに数秒はかかったような気がする。
頭の芯が、まるで痺れたようにボーッとして……私は、彼を突き放すことも、身を捩ることもできずにいた。
程なくして、彼は静かに唇を離し……耳元でこう囁いてくれる。


「……心配掛けて悪かったな、双葉。今度はもう、こんなことにはならないようにするから」
柔らかい声と申し訳なさそうな言葉とが、私の胸の中のわだかまりを溶かしていく。
まだ唇にうっすらと残るキスの感触を噛み締めながら、私は司狼の大きな胸に顔を埋め――こう呟いたのだった。
「うん。約束……だよ」



(終)



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